離れて暮らす動物たちとのコミュニケーション

こんにちは、ふうです。

今日は、以前させて頂いたアニマルコミュニケーションの感想をいただきましたので、ご紹介したいと思います。

子供の頃から一緒に過ごしている動物と、大学進学や就職、結婚など、自分の人生の選択で家を離れることになり、いつも傍らにいたシッポたちと離れて暮らすことになる場合ってありますよね。

そんな時でも、シッポたちは同じように想ってくれています。
離れていても繋がろうとする想い。伝わる想い。
でも受け取る情報の多い生活を送っている人の方は、その届けられる想いに気付かずに、家にいるシッポたちを心配していたりします。
まっすぐ届けられる彼らの想い、家族であるあなたを案じる優しい気持ち


今回、お話をさせていただいたのはCさんの今は離れて暮らしている 花ちゃん(犬)  *上記写真とは関係ありません。

Cさんは、大学進学と共にお家を出られて今はご結婚もされ花ちゃんとは離れて暮らしています。

お家ではお父さんと二人きりの花ちゃん。

お父さんのお仕事が忙しいこともあり、お家で花ちゃんが寂しい思いをしていないだろうか?と心配されてのご依頼でした。
花ちゃんは、保健所から引き取ってCさんの家族となった柴犬とシェパードのミックスのような11歳くらいの女の子。

賢くて慎重さもある瞳で、こちらの様子をうかがうように見つめていました。
でも、Cさんから言付かったこととCさんの映像を送ってみると、パッと表情が和らいでポツポツと今の暮らしの様子をCさんに伝えてと言わんばかりにお家での様子を映像で送り返してくれました。

すぐに花ちゃんが信用してくれたのは、Cさんと私がリアルでも交流のある間であった事がイメージを通して花ちゃんに伝わったからではないかと思います。

 

自然豊かでのんびりとしたお庭のあるお家の映像。

「ここは私のお家」

そんな呟きが聞こえてきました。
とても穏やかで優しく、お家を家族を見守っている。
それが自分の役割りで誇りを持っている。

そんな今の暮らしを慈しむように大切に思っている花ちゃん。

それでいて、少しばかりの寂しさも伝わってきました。

その寂しさは花ちゃん自身がこの暮らしに感じているわけではなく、人生の選択と共に家を出た家族を案じているもので、ちょうどお父さんの想いとシンクロするように、成長や一人立ちをしていった子供たちを誇りに思いながらもその暮らしぶりがどのようなものか?と心配している、そんな愛情が裏に隠されているものでした。
でも彼女には、どうしてCさんや他のご兄妹たちが自分の側にいないのか?を今ひとつ理解できていないようで、

 

どうしているのかしら?
お腹空いてないかな?
怖い思いや心細い思いをしていないかしら?と心配になるの。

 

と伝えてきました。

Cさんが、お家にお父さんと二人きりでいる花ちゃんが寂しくないか案じていたように、花ちゃんもCさんたちの事を心配していたというわけなのです。

お互いに想いながらも、わずかなすれ違いでつながりきれていなかった想い。

そこで、Cさんの今の様子を言葉の説明と共に、私の知っているCさんの映像をいろいろと送ってみました。

花ちゃんはその映像を受け取ると「本当に?」と言って、少し納得してくれたよう。

「なら、もっとお話して欲しいな。」

とも。
動物たちは人の言葉もある程度は理解してくれますが、イメージや気持ち、想いを伝える方が理解しやすいです。

Cさんへは、言葉で語りかけると同時に、具体的な映像と共に気持ちや想いをたくさん伝えてみてくださいとお伝えしました。

おそらく、何となく花ちゃんはCさんたちが隣にいない事情を理解しているのだと思います。それは哀しむべきものではなく、自分は待つ役割だということも。

自然豊かでたくさんの命が通りすぎるお庭で、巣立った子供たちが時々里帰りをするのをお父さんと一緒に「元気でやっているかしら?」と時々心配しながら、いつでも帰ってきて迎えられるように一途に家を守りながら待っている、そんな優しい花ちゃんの気持ち、Cさんへの溢れるほどの愛情が伝わってくる、そんなコミュニケーションになりました。

どうもありがとうございました。

 

後日談

Cさんは、お仕事で忙しいお父さんと暮らしている花ちゃんを、ゆくゆくは引き取ろうと考えていたそうです。
寂しくはないか?の問いかけには、そのようなお考えもあってのことだったと後からお聞きしました。

そして、今回の花ちゃんとの会話を通して、今一度、お父さんと花ちゃんの関係・つながりを、帰られた時に観察されたそうです。

そうすると、言葉ではそっけないお父さんが、

実は誰よりも花ちゃんのことを考えてお世話をしていたこと、

そして、そんなお父さんを信頼し、一緒にお家を守っている花ちゃんの姿に気が付かれたそうです。

花ちゃんがそう望むのなら、そう選択するのなら、このお家が花ちゃんのお家

そう思われたと。

 

このお話を初めに聞いた時、まだ未熟なアニマルコミュニケーションが、動物たちやその飼い主さんに重大な決定の後押しをするかもしれない事への責任の重大さを感じました。

そして、少なからずその怖さも感じたのでした。

もし、私の受け取りが花ちゃんの真実とズレているものであったなら、もしかしてCさんに引き取られて暮らしたほうが幸せなのかもしれない。これで良かったのだろうか?と不安になったのです。

もちろん私自身は、受け取ったことや感じられたことをそのままお伝えする。

そう心がけています。

とはいえ、会話=対話でもあるので、全く私の主観が入らないといえば嘘になります。
会話を通して依頼主さんのお考えに沿った考えや、動物と人との間をより良い関係になるようにと、自分の考えや感じたことを動物に投げかけることもあります。

そうして返ってきた言葉やイメージをお伝えする。

私ができることは、そこまでなのです。(もちろん、会話に関連する質問や分からない点などは、一緒に考えることもします。)

 

ではなぜそう感じたのか?

よくよく考えてみると、心のどこかに自分の受け取ったものをある意味信じていない部分があるのかもしれないと思いあたりました。

まだ未熟な自分への自信のなさ。それも影響しているのだと思います。

 

 

ですが、その後Cさんに、

「会話の後、それをどう活かして選択し決定するのは私ですから。」

とおっしゃっていただいて、ものすごく納得できました。

 

受け取ったものそのものに関しては、会話をした私が誠意をもってお伝えします。

でも、そこからその先は、受け取った人がどう考えて動物に接していくかは、その人(動物)の選択に任されているということ。
そこに私が責任を感じたりすることは、そういうつもりがなくても、その人を信用していないことにもなってしまうということ。

だから、私は誠心誠意、動物や依頼主さんの間でフラットな状態で会話していく大切さを常に心に留めておきたい。

そんなことを気づかせてくださった、今回の花ちゃんとの会話でした。

 

Cさん、花ちゃん、

本当にありがとうございました。

 

アニマルコミュニケーション・セッションについてはコチラ → ” Bridging the hearts “ 

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